ポーランドのクラクフという街で、友達と再会
ポーランド美人 ドミニカ
マレーシアを旅していた時にゲストハウスで出会いました。
その時は4月で、かなりのヨーロピアンが2週間ぐらいの休暇を使って東南アジアにいた覚えがありますが、彼女もそのうちの一人でした。
「日本には無い、うらやましい制度を、当たり前に使ってるね。
もし、日本人が2週間休みを取ろうとすると、会社を辞めるしか無くて、
だからどうせなら、もっと長い時間を使って世界一周するんだよ。」
「私も世界一周したい!あーポーランドに帰りたくないわ!
とにかく羨ましいわ!」
みたいな話をして、彼女は翌朝バンコクへ、そしてポーランドに帰っていきました。
今回、彼女に「ポーランド行くよー」とメッセージを送ったところ
「遊びにいらっしゃい!」と、久しぶりに再会することになりました。
彼女はワルシャワ生まれワルシャワ育ちワルシャワの奴はだいたいトモダチ
平日はバリバリ仕事をして、土日は必ず旅行をする、という旅行好きガールです。
僕より背が高くて、足が長くて、困ります。
彼女お勧めのポーランド料理 スープ4種類
うまい
これはポーランド料理の盛り合わせ
うまい
これはユダヤ教の伝統料理
うまい
ポーランドの飯は相当ウマかったですが、タダでは終わりませんでした。
ビールも飲んで酔っぱらっていたのですが、「食後はポリッシュ・ウォッカよ!」といってバーに連れていかれ、ウォッカで相当に酔っぱらいました。
宿に帰ると、ウクライナ人がウクライナのウォッカをすごいテンポで飲んでいました。
吐くか寝るかってテンションで横になる僕に、ドミニカはビンタしながら「起きなさーい、いいからちょっと飲みなさーい!」と上機嫌で、ウクライナ人と意気投合しています。恐るべし!東ヨーロッパのウォッカ文化!
アメリカ人とオーストラリア人がビールを飲みながら「ビールは水だ」的なことを言っています。レッツノミュニケーションです。
まだこっちのビール文化の方が安全だったので、こっちに逃げて、こっそり寝ました。
いつまでたっても酒が強くなりません。困ったものです!
集う酒飲みたち
翌日 強制収容所を見学
「アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所」という所を見学に行きました。
何が行われていたかを、ざっくり説明します。
ヒトラー率いるナチスドイツ政府によって設立された、史上最も多くの人が死んだ施設です。負の世界遺産と呼ばれています。
上記写真は入口の様子で「働けば自由になる」と書いてあります。
ヨーロッパ各地から 主にユダヤ人や政治犯などが
列車にぎゅうぎゅう詰めで 数日間かけて
アウシュビッツへやって来ました
前述したとおり、ここは史上最も多くの人が死んだ施設です。
「働いたら自由になる」なんていうのはウソでした。
死者はカウントするだけで100万人以上死んだそうです。
正確な数字は分からないけど、約600万人とも言われています。
この強制収容所は5年間稼働していました。
5年で600万人
1年で120万人
1日に3,000人の人々が殺されたことになります。
こう考えたら、本当に恐ろしくなりました。たった70年前に、1日3,000人を殺す施設があったのです。
列車から降りた人々は、施設に入る前に、2列に並ばされます。
片方の列は、施設に入ります
もう片方は、先ずシャワーを浴びにいきます
シャワーを浴びに行った人たちは、密室でガスまみれにされ、そのまま殺されました。
この、シャワーを浴びると言われて到着後すぐ殺された人たちは、全体の70%ほど。
400万人以上に相当します。
施設に入らされた、残り3割の人たちも、多くは途中で死んでしまいました。
働けると判断された人たち
満足な食事はありませんでした。
ガス室送りで殺された人たちの処理、密室にガスを送る役目、死んだ人たちの髪の毛を集めて布を作る、メガネなど金属を売るために集める、死んだ人たちが持ってきた全財産を没収するなど
収容所に携わるほとんどの事を囚人たちが行いました。
作られた布や金属はナチスドイツの利益となりました。そして伏せられた利益の一部は、スイスの銀行に流れていました。
殺人ガスを製造した会社は、現在も存在しているそうです。
体重75㎏の人は 25㎏に
半年も生きられる人は極僅かだった
第二次世界大戦中とはいえ、こんな出来事を世界中が5年間も黙認していたなんて、僕には驚きでした。
複雑な思いに囚われましたが、ここを訪れて、知ることができて良かったです。
最後はクラクフのユダヤ人街へ
アートたっぷりの素敵なところでした
月曜日、1日ズル休みして、一緒に遊んでくれたドミニカに感謝です。
3日間、彼女のジャマイカ推しにあい、僕もジャマイカに行きたくなりました!
それでは、次はベルギーへ!
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