2012年12月31日月曜日

アメリカ①

常夏の田舎



 


海パンで過ごしていたエクアドルから




 


飛行機で一気にやってきたアメリカ・ニューヨークは







雪降る極寒のハイパーシティ




バスで1時間 郊外の住宅街へ
 
 
 
 
 
 
右から順に
エルアド コウダイ オハド
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
エクアドルにいる時から、ニューヨークの宿情報を調べていたのですが
 
 
 
「年末年始の時期は、ドミトリー(相部屋)が50ドル(4,000円)」
 
 
 
驚きの価格ですが、どんなに頑張って調べても、安宿でこの価格設定。さすがハイパーシティ
 
 
 
 
 
 
 
ニューヨークには10泊以上する予定の私
 
 
 
 
残金からすると、こんなお金は払えたもんじゃありません
 
 
 
 
 
ちなみにエクアドルは一泊4ドル(320円)です
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ということで、宿代を節約する必要があった僕は、「カウチサーフィン」というサイトを利用しました。
 
 
 
 
 
 
「カウチサーフィン」とは、身元がはっきり登録された人たちが、自分の家に旅人を泊めたり、旅人として相手の家に泊めてもらったりする出会い系サイトです
 
 
 
 
宿泊料は発生しません。お互い仲良しになろうというのが目的です
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ということで、僕が今回ニューヨークでお世話になるのは、上記写真の2人、エルアドとオハドの御家。
 
 
 
 
二人はイスラエルからやってきた兄弟で、兄オハドはIT関連の仕事を、弟エルアドはシェフとして働いています
 
 
 
 
 
中心部マンハッタンからは、バスで1時間程。普通に旅をしていれば絶対に来ないような、ニューヨークの住宅地で、部屋を貸してもらいました
 
 
 
 
 
 
 
エルアドがご飯を作ってくれます
至高のメニュー
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
久しぶりに、熱いシャワーが出ます。豪華なベッドがあります。
ポテチ食いながらエルアドと日本のアニメを観ます。
この2人には、本当によくしてもらいました
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
さて、
僕がニューヨークに来た一番の理由は、活気あふれる人種の坩堝に身をうずめ、タイムズスクエアで年越しをするためですが、
 
 
 
 
同じくらい、この人のライブを観たくて、ニューヨークへやって来ました
 
 
 
 
 
 
 
パーティーするなら俺を呼べ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
高校生の頃の僕が、当時もっとも光り輝いていたと思っていたのが彼、アンドリューWK
 
 
 
 
 
 
 
 
翼広げすぎのJ‐POPから翼折れすぎのビジュアル系、そんなスカした流行をふっとばす彼の一大ムーブメントは、僕にパーティー旋風を席巻
 
 
 
 
 
彼のパーティー音楽には人見知りや反抗期などストレスのベクトルをすべて彼のパーティーに向かわせる力があると本気で思い込んでいたほど、彼の音楽をリスペクトしていました
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
あの頃から10年が経ち
 
多くの人から言わせれば、そんな人知らないし、知っていたとしても、そんな一発屋がいたぐらいの認識でしょう
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
しかし彼は、まだまだ現役でした
 
ここニューヨークで彼の年越しライブ情報を見つけた時には、何か心に燃え上がるものがありました。すぐにチケットを予約し、ライブ当日を迎えました
 
 
 
 
 
 
 
 
 
マンハッタンから電車で1時間の郊外
小さなライブハウス
 
 
 
 
 
 
 
 
10年ぶりの再会
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
昔、ゼップ東京でライブ終わりにアンドリューWKの出待ちをして
 
Tシャツにサインを書いてもらった時に「アイムエキサイティング」しか言えませんでした
 
 
 
 
 
 
 
 
10年が経ち、僕は高校生から社会人になり、アンドリューWKは少し腹が出ていましたが
 
 
 
 
 
僕が思い切って旅に出たことと、彼がぶれずにパーティー一直線を歌い続けていたことで
 
 
 
 
 
ここニューヨークで彼と再会を果たすことが出来、また10年後、どこかで、彼のライブに行く楽しみが増えました
 
 
 
 
 
 
 
10年後、僕は何をしているのでしょうか。まだまだ分かりませんが、彼はぶれずにパーティー一直線を歌い続けているはずです
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
そして、タイムズスクエア
2012年が終わります
 


2012年12月27日木曜日

エクアドル④


満潮の、サーフィンどき











すごく長く感じる一日一日だったのに、気づけばあっという間に20日間が過ぎ




クリスマスを迎え

カノアは、ついにピカッと晴れ渡り、真夏に突入







人生で初めて夏のクリスマスを過ごし

そして、僕がこの村を去る時が来ました



女サーファー(チアキちゃん)は、先日フィンで足をザクッ切りドクターストップがかかっているため、カメラで写真を撮ってくれました












朝早く、バスが出発する前に、最後のサーフィンを











楽しいから、静岡に帰ったら始めようと思います。





サーフィンを終え、バスに乗り込みました。















さようなら、カノア





ビーバークリークでスキー生活にも引けを取らない、楽しい日々を過ごせたと思います。





でもいつか、冬のアメリカはロッキー山脈•ビーバークリークへ!

いや、ヨーロッパはスイス•ウェンゲン、オーストリア•シュラドミング、キッツビューエルなんかにも行くか!!

その前に、北海道で滑ったことないから、先にこっちか!!!

湧き出る滑走思考!!!!でもお金貯めなきゃスキーに行けへんなぁ…











と考えること7時間。




バスはエクアドルの首都キトに到着。











2ヶ月続いたスペイン語圏が終わります

覚えた言葉はありがとう、これいくら?、どこ?、後はごはんの名前と数字ぐらいです。
もちろん、会話に苦労したんですが
「えっ( ^ω^ )オマエわかってへんやろ〜べらべらー」って感じで、陽気に、頑なにスペイン語を話してくる南米の人たちのおかげで
笑ってるだけで何とかなった感じがします。



話せれば、もっと楽しいし、話せなくても、十分楽しいスペイン語圏の人々でした

















空港の椅子で寝て、飛行機に乗り、一気に北上


中米カリブ海を通り越し、北米大陸アメリカへ























ニューヨークへ









2012年12月13日木曜日

エクアドル③


「ジュンさん、サーフィン楽しいスね!」
おっ!よかったっすねー。いい感じじゃないすか
こんなかんじで
サーフィンの日々が過ぎていく















はじめ数日は元気だったので、朝と夕方、一日2回サーフィンしてましたが







パドリングで腕がばきばきの筋肉痛なのと、肋骨がじわじわビキーンと痛みだしたので(僕は知っている、この痛みはヒビが入ってる痛み。毎日痛み止めを飲みながら、海に入りました)






満潮の良い時間に、一日1回サーフィンするようになりました







小さい波に乗る 私






大きい波に乗る 地元の少年
少年は、沖の大きい波をウィンウィンときめこみます








朝起きて、




朝ごはんをゆっくり食べて、昼までのんびりして、




波の良い時にサーフィンを2〜3時間して




楽しかったと思って




海から上がったらシャワーを浴びて、コーヒー飲みながらサーフィンの映像を観たりして





あー夕陽きれい、と思って




夜になったらご飯を食べに行ったり、作ったり




デザートに、買ってきたケーキを食べたり、お菓子ばりばり食べたり





あー星きれい、
明日もサーフィンするかー、と思って






腕が筋肉痛、と思ってバタッと寝る










こんな、ものすごく一日が長く感じる毎日を


時間がゆっくりと流れていると感じる毎日を積み重ね




カノアでの日々が過ぎていく







一日1,500円の、贅沢な日々が過ぎていく








サーフィンも少しずつ上達






沖に見える、白く割れる前の大きい波

あの良い波に乗りたくて


波に弾き飛ばされ、押し戻されながら、それでも沖に出て




いざデカイ波が迫ってくると、「えッちょっデカッ!」とビビったり、気合い入れたけど波に巻かれて海水水飲んだりして




戻されたから、また沖まで頑張ってパドリングして










それでもだんだんと、小さいながらも今日はこれが出来た、ということが増えていく






カノアは夏に向かって、だんだんと暖かくなり、地元のサーファーも増えてくる。

みんな優しくて、乗りたい波にパドリングを始めると、レッツゴーとか言ってくれる。








レッツゴーと言ってくれる若者







女サーファーチアキちゃんに言わせると、ここは最高の環境だそう。
日本の海、夏の湘南なんかだと、すごい数のサーファーが周りにいっぱいいて、接触してしまうこともあるみたい。
ワザとぶつかってくる奴もいるんだよーケッ!らしい…おーコワ





準備運動する 女サーファーチアキちゃん








満潮と夕陽のセットを欠かさない ジュンさん








ここが良い環境であるのを承知したと同時に、日本に帰ったら、静岡でサーフィンしたいと思いました






そんなふうに、サーフィンとこの生活が気に入っている








それにしても
両腕の筋肉痛、そして肋骨の痛み、はーどうにかならんか…と思いながらも、









それでも
毎日海に入る日々が過ぎていく














観光も移動も無い、このサーフィン生活は憧れていた通りに最高です

2012年12月4日火曜日

エクアドル②

到着したのは、エクアドル最大の都市グアヤキル












動物園行って、ガラパゴスにいる珍しい動物を見て






やりたいことやって、さっさと出発


















夜行バスに乗り、6時間、


行き先は、


早く行きたくてしょうがなかった、サーフィンのできる、カノアという村です


















早朝4時に



「カノア着いたけど!」って叩き起こされて、




パッと降り立ったらもう真っ暗で、ここどこですか状態。こういう時って少し怖いです





とりあえず場を動かず、降り立った店の前の地べたで寝て、朝を迎えました
















さぁここから、人探しです




僕の訪ね人は、ジュンさんという、この村に住んでいる日本人のサーファーの方








ネットカフェと日本人宿を経営し、サーフボードレンタルをされているとの噂です












で、聞き込み開始!するまでもなく、僕が寝ていた場所が、そのネットカフェの前でした。「おはようございます。」って感じで、あっさりとジュンさん登場

















噂どおり、サーフボードレンタルも、宿経営もされてるそうで一安心です。ネットの情報だけを頼りにやって来た甲斐がありました












この村について聞いてみると











このカノアには、何もないよー。とジュンさん

現金を降ろすATMは無く、ポストオフィスもありません。水もよく断水するし、WIFIの飛んでるレストランは2~3件…想像しうる限りの不便さです








もうサーフィンぐらいしかやることないよー。とジュンさん







はい、やったことないんですけどそのサーフィンをしに来ました。と僕






いいっすねーとジュンさん













ここカノアは、12月末頃からサマーシーズンを迎え、日中は暑く、観光客がどっと押し寄せ、波もぐっと高くなるそうです






今は12月頭なので、日が陰れば涼しく、観光客も少ない。波もそんなに高くないそうです







人が少ないから、サーフィン始めるには良いよーとジュンさん
もうこれは、貸切に近い状態
いいっすねーと僕









前日に到着していた女サーファー、チアキちゃんを師匠に迎え、ここでのサーフィン生活が始まります
















エッ、残金無いやん!事件を経てからというもの、ココでサーフィンどっぷり生活に憧れていた僕は、もうサーフィンしたくてしたくて仕方ありません







ジュンさんに板を借りて、説明を受けました。

・波が来たら、結構早めから、全力でパドリングするんすよ

・で、波に押されてるーって瞬間が来るんで、もうサッと立つんすよ

・ワックスはボードにたっぷり塗った方がいいっすよ

・とにかくやるしか無いんすよ

・海に入れば入るほどうまくなるんすよ

・海から上がったらクタクタでボーっとしちゃって、サーフィン以外のことは考えられないっすよ







要約すると
「とにかくやってみろよー!」「楽しいぞー!」ということになります。
わかりやすいです。頭でっかちでヘタクソなスキーヤーにはなるなよ!とも受け取れますね










最初は足の着くところで、割れてる波でやってみます















やってくる波に







僕は全力でパドリング







でも、パドリングなんて意味無いんじゃないか、というぐらい進みません。ただ浮いているだけにも感じます。









そして、割れた波がボードに当った瞬間














ズギャーーーーーーーーーー!!!!とボードが走りだし、急にスピードにのります













「ッHHHOOOOOOーーーーー!!!!」と僕も、急にスイッチが入ります







ボードに寝たままの状態で、進み続けます。「波を捕まえとるー!」という状態です






























これでボードに立ったら、それは気持ちいいんやろうなぁ……




















サーフィン面白ッ!って初めて思った瞬間です。













ロングボード(2m以上あるやつ)は安定していて、背丈より短いショートボードに比べて立ちやすい、とチアキちゃんは言いました。次は立ってみます。イケそうです。








そして波が来たらパドリングして





ボードが押され、








「おっ押されてる!立つかッ!」と思ってサッと立って











ズザー――――と白い波に押されながら進みました。


















初日、ボードに立つことに成功しました




























またまた、サーフィン面白ッ!て思った瞬間

























しかし、なんか違うよなぁーーーーー…とも感じます













同じ波を捕まえたチアキちゃんの方が、長く波を捕まえています
























なんでやろ…?
































よっしゃー出来てる!でもあの人がもっとウマいのは何で…?と考えながら、僕のサーフィン生活はスタートしました
















この感じ、もはやスキーやってる時と一緒です。凝り固まらず、いろいろなアドバイスを自分なりに解釈し、やってみると、それはどうだったか…あぁ…








初日からどっぷりハマっちゃいました!

2012年12月1日土曜日

エクアドル①


朝からウルセェ!






クジャク、カメ、口を縛られたイヌ、叫ぶオウム。なんなんでしょうかここは。一泊450円です。


うるさいけど、病み付きになる宿です。ホテルエスパーニャ










この日は、エクアドル行きのバスチケットを買った








ここリマから30時間かけて、エクアドルのグアヤキルという町に移動することにしました。

中華街で見つけた沖縄そばを食べて、肉まんを買い込んで、僕はバスに乗り込みました。












いつものラジオ、くるり電波
11月27日放送分













僕はビックリしてリアルに飲んでいた水をバスの中で吐いてしまいました


















「…さてここからの1時間は、いろんな音楽と一緒に、心のアイドリングを、ゆぅーーっくりと調整していこうと思っております」













いつものセリフのあと














「えーこちら広大さんという男性の方からメッセージ頂いております」




















(えっ)水ぶはぁッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!






















これはこの世界一周の旅の中でも、ビックリしたランキング1位に入る出来事でした。













そういえば僕、チリぐらいでシゲルキシダさん宛にメッセージ送ってたんです!南米から聴いてまっせ~、ええ曲かけてくだはれや~、と
















まさか番組冒頭に僕のメッセージが流れるとはね!


















僕のメッセージを読んだあとに、シゲルキシダさんは「ベル&セバスチャンのホワイトカラーボーイ」という曲をかけてくれました
















シゲルキシダさんには、「中米カリブ海、キューバ目指して移動してます」なんてメッセージを読んでいただいて大変申し訳ないのですが



すこしあの頃とは状況が違いまして…
自分のお金の無さに驚愕した僕は、カリブ海もキューバも行かないんです。エクアドル行きます。










すいませんシゲルキシダさん
そしてありがとうございます!
エクアドルに到着しました!

2012年11月28日水曜日

ペルー①

ラパスに帰って来た






日本料理屋「けんちゃん」だけが癒しの場所ではありません。


ここは、韓国料理屋「コリア・タウン」


現地の安い、肉と芋の料理、僕にとってはどこまでいっても変化球な味付けの料理


ウマいんですけど、それが数か月続くと、全身が食べ慣れた味を欲してくるわけです


だから欲している体にカツ丼とか食べると、んぉおおおおコレコレ!!ってなるわけですが


キムチ鍋とかも同様の効果が得られるわけですね。しかも小皿がおかわり自由スタイルなので、動けなくなるまで食べました


これが幸せです


しかし一緒に食べに行ったスーさん、イマイチの表情です。本場のアレじゃないんやね、わかるよその気持ち。、













そして、ペルーはクスコにやって来ました







僕、姉さん、スーさんと3人で快適なバス移動。陸路で国境を越え、ペルー・クスコへやって来ました。ここでスーさんとはお別れ、次はソウルで再会です。





僕と姉さんは女子旅を模したグルメ気取りでレストランへ。僕はトラウトのグリル、姉さんはアルパカのステーキ。高いだけあって、ウマかったです。写真を撮り合ったりしたわけですが、お互い本当に一番おいしかったのは、実はキンタロウという日本食屋さんのカレーうどんでした。










綺麗な街並み クスコ









夜景もなかなか綺麗











しかしここは南米。中央広場を外れ、人気のない通りに入ると、首絞め強盗などに会うと言われています。なかなか危ないですね。僕らは広場近くのホテルに泊まったんですが、それでも深夜、ビンの叩き割れる音にビックリした僕らは窓から外を覗き込むと、若者が殴り合いをしていました。
深夜は出歩かない方が良い町ですね。






そして翌日









世界遺産 マチュピチュへやって来た










クスコの街からバスと電車を乗り継ぎ、やってきたマチュピチュ


昔、NHKか何かでやっていたハイビジョンの世界遺産番組、そのままの素晴らしさと驚きでした。


遺跡に感動するなんて滅多にありませんが、感動してしまいました。


インカ帝国を滅ぼしたスペイン軍が、見つけられず壊し損ねたマチュピチュ。だから壊されずに残っているそうです。









リャマもここで草食ってます







マチュピチュ日帰りでは移動費、入場料など合計200㌦(16,000円ぐらい)掛かりました。

必要経費ではありますが、こんなに大金を叩いて観光する場所は、この先もう無い、予定。
















クスコに戻ってきた僕らは、首都リマへ移動





バスで移動した場合、アンデス山脈を越え、20時間。





女子旅気取りの姉さんが耐えられるはずがありません。








ということで、10,000円以下のフライトを探し出し、1時間半で移動できました。費用と時間で考えても、ここは飛行機の方がお得感ありました。

















!!!!!!!








リマでチェックインしたホテルは、ホテルエスパーニャというところ。
不気味なところです。


受付には骸骨で、各フロアは美術館さながらの彫刻と西洋画


そして屋上では、野放しのクジャクが求愛し、オウムがエァ゙ーーーーッっと叫んでおります。


ちなみに僕の部屋は屋上の相部屋。一泊15ソル(450円ぐらい)です。










お取込みなう











僕はこのホテルにチェックインし、リマに数日間滞在しますが、


姉さんは帰国のフライトが12時間後に迫っております


ということで、姉さんのフライトまでの間、リマの街を半日で弾丸観光しました。








最後のご馳走は
セビッチェ(酸っぱ辛い魚介のマリネ)
アロスデマリスコス(魚介のパエリア的なもの)


















こうして10日間の弾丸観光を終え、姉さんは日本へ帰っていきました。お疲れ様ー!












姉さん曰く、南米は楽しかったそうです





そうなんです。僕も絶賛、そう感じています。





もし世界一周を東回りでスタートしたら、1年間南米にいてしまうと思います。それほどに広くて楽しい、魅力満載な大陸です。








自分の旅も、もう終盤






残りのルートは決まっています。終わりまでしっかりと楽しんで行きたいと思います。















2012年11月21日水曜日

ボリビア②

ラパスの夜景







富士山山頂と変わらない標高に、こんなに人が住んでるなんてびっくりですね。





夜行バスで、あっという間にウユニに到着。





早朝到着、驚愕の事実が








早速ツアー会社の客引きについて行き、ウユニ塩湖ツアーについていろいろ聞いていると


なんと明日はボリビア全土の休日だそうで、「誰も何も働いてはいけない日」らしく


レストランはもちろん、スーパー、バス会社やタクシーまで、全ておやすみとのこと。


「今日、日帰りツアーに行くしかないわねぇ」と言われました。


何それと思いながらも、到着早々、とりあえずウユニ塩湖ツアーに参加しました。









日本人 2名
韓国人 1名
イタリア人 2名
フランス人 1名
デンマーク人 1名





韓国人 スーさん
偶然の再会




彼とは、チリのサンティアゴ行き、40時間バス移動をともに過ごした間柄でした。

何も打ち合わせもせず、ばったり再会したので、お互いビックリ。

彼は「最近の韓国の若者は兵役に行きたくない意見が多く、軟弱化している」と語る24歳です

「ソウルに来たら、お前には1ウォンも使わせない。クラブは好きか?」と宣言する、頼もしい男です









半日がかりで、ツアーは進みます。








2時間ぐらい真っ直ぐ走っても
景色は変わらず 真っ白









相当なデカさですね。

青と白のパノラマ風景、実に360°。目印は車の轍だけ。僕なら方角を見失って逆走してしまいそうです。







楽しいメンバーで、楽しいひとときを過ごした




















翌日、客引きの姉ちゃんが行っていたとおり、何もかもの商売がストップしていました。


昨夜買い込んでおいた食料を食べます。もうあとはネットしかすることが無いと思ったら


電力供給までストップしていて、ネットが使えませんでした。なんじゃそれ


姉さんは日本社会のストレスを晴らすべく、一日中寝てました。


















そして退屈な一日が終わり、日付の変わる深夜0時。




ようやく1本のバスが動きました。




そのバスに乗って、僕、姉さんとスーさん3人で、ラパスに戻るのでした。