2012年5月30日水曜日

インド⑧

デリーからバラナシ行きの寝台列車



ジュースとお菓子を買い込んで、2AC(2段ベッドのエアコン=快適)に乗り込んで



クロノトリガーを、本当にずーっとやっていました。




下痢の最中 ごはん食べてへんからいいでしょと
血迷って衝動クリック買い
これがインドの大冒険を変えた





快適すぎるし、集中していたので、インド忘れてました。




クロノトリガーは1,200円します。インドに換算すると、SIMフリーケータイが1台買えます。寝台列車2ACに乗れます。チャイ200杯ぐらい飲めます。




でもこのゲームには、それら以上の価値があります。時空を超える旅は、しばしインドの旅疲れ(下痢)を癒してくれました。









もうあっという間に、バラナシに到着。


暑い。客引きウザい。これが現実でした。


アイフォンしまうと、これが現実でした。3人技とかに萌えてる場合ではない。








さぁバラナシ!楽しもうではないかインド人よ!




インド最後の街 バラナシ
ガンジス河でバタフライ の街




暑くて臭くて狭い 最後にふさわしい街




ここバラナシに来た目的は、バンコクで一緒に遊んだダイスケと再会することと


バスに乗って次の国、ネパールへ向かうことです。





宮崎県代表ダイスケと 早速再会!
街が小さいから、あっという間だった!




宿の屋上には、素敵な癒しの「ボナカフェ」




韓国人宿ということで、韓国人多し。
だから韓国料理がおお美味しいんだな




ダイスケの他にも、カンボジアで一緒だったナオミちゃん。ネパールで高橋夫妻と一緒だったシンジ。所縁ある人たちとの再会と出会いが、ここバラナシでありました。






さすが日本人が大好きな街、バラナシですね。




牛も



インド人も(自称:鈴木亜久里)



こういう感じも



最後の街バラナシで、インドを満喫してネパールに向かいます。









2012年5月27日日曜日

インド⑦

インド北部、デリーに到着。




特になにもやることがない街です。




かといってゴアやハンピの様にリラックスできるわけでもなく、非常に混み混みしていて、非常に居心地が悪い街です。




しかし、ここデリーで、ひとつ幸せなことがありました。





 


唐揚げ親子丼 というものを食べることができたこと
うどんも食べれた




デリーには、数件の日本食屋があって、食欲大爆発中の僕にとって、最高の喜びを与えてくれました。



オクラ丼、ゆかりおにぎり、チャプチェなんかも食べました。下痢の恐怖からカレー自粛を並行して進めていました。
















高橋夫妻にもらったガイドブックによると、ここデリーで詐欺、盗難の被害にあうケースが非常に多いとのことです。



僕も気を付けようと気を引き締めると同時に、これまで罵るように声をかけてきた客引き、騙すつもりで近寄っていたインド人、




いや、今でも声をかけ続けてくるインド人に対して、小さな怒りが湧いてきました。






俺もこいつらの嫌がることをしてやろうと思い、ざるうどんの残りのめんつゆとネギと水をペットボトルに入れ、声をかけてくる全員に「ジャパニーズティーだ」といって飲ませることにしました。




そして寄ってくるインド人にニコニコして「飲めよ」といってネギの浮いたペットボトルを差し出し、しつこくつきまとうと


客引きは逃げ、露店ではもうあっち行けという仕草をされました。




インド人よりウザくなることに成功しました。






宿付近をウロウロして、何人かのインド人にウザがられて、僕はすっきりしました。



同時に、こんなことしてちゃいけないな、復讐は復讐しか生まないわ、とも思いました。
数%であろう心やさしいインド人と「ありがとう」と言い合える関係をつくろうと思いました。












翌日、日帰りでアーグラという街へ行ってきました。




有名なタージマハルを見に行くためです。




インド人に大人気








かっこつけている兄ちゃん




かわいい姉ちゃん






運転手の耳毛があまりにもすごかった





このタージマハルには、インド中からいろんなインド人が大集合していました。



このタージマハルは、ざっくりいえば国王のわがままで作られたタダのお墓で、これを作ったがために財政が傾き、インドが崩壊しかけたそうです。



労働者の幸せを顧みない国王、でもそんな意味のない「お墓をつくること」に情熱を注いだという一点はすごいと思います。どういうつもりだったんでしょうか。



今ではしっかり観光地と化し、外貨を稼ぐ収入源となっています。
インド人は入場料20ルピーなのに、外人は750ルピー(1,200円ぐらい)だからね。




でもそんな、「将来的に観光地として儲かる」なんてことは少しも考えてなかったでしょう。
ただ「豪華ででかいお墓をつくる」ということに没頭したということがすごいと思います。











深夜、デリーの街に戻ってくると、かなりの野犬がいきいきと僕を追っかけてきました。
かまれる勢いだったので必死でにげました。











そして、日本食を食った以上、見どころのないデリーにいるつもりはもうありません。
暑いし、臭いし、客引きウザいし、長居はできません。








寝台列車でバラナシという街を目指します。


2012年5月26日土曜日

インド⑥

史上最悪のコンディションの中、寝台列車で移動を迎えました!!




もう水しか出ないほどの下痢!しかし、そこは開き直って




コレは、まだ「漏らした」ということにはならない





という設定基準を下げることで、ぎりぎりセーフだったといえると思います。





相当きびしい戦いだったということです!!!!!




きびしい戦い






早朝、アウランガバードに到着するも、ホテルに移動するだけで一杯一杯でした。


ちなみに、このアウランガバードという街からは


高橋夫妻おすすめのエローラ石窟群という遺跡へバスで行けるのですが





バス乗り場でバスを待つという行為すら無理で、一瞬でホテルへ引き返しました!!



インド人の「ジャパン」と呼ぶ声も、サモサの油臭さも、排気ガスも熱気も、すべてが僕の下痢の原因であるような気がしてきました。
















翌日、マンゴージュースが僕を救う第一歩であることを理解しました。



でもやっぱりエローラ石窟群には行けそうにありません。


















結局アウランガバードでは、なんと2日間とも下痢との戦いに終始しました。


体調を崩して、観たい所に行けない


という初めての経験。後ろ髪ひかれる思いでアウランガバードを後にします。


















しかし感傷に浸っている間はありません。


なにか飲み物、食べ物がおなかを刺激すれば、再び厳しい戦いになりそうな、緊張感



緊張感




アウランガバードからジャルガオンという街までは、バスで5時間。


「水とマンゴージュース、且つ飲みすぎない」万全を期して挑んだ結果


無事にジャルガオンに到着しました。













ジャルガオンは、ただの経由地で、何もせずすっとばします。



電車待ち。
戦っているので、本当の笑顔ではない




寝台列車に乗り、北インドのデリーへ移動








この寝台列車あたりから、ついに食欲が戻ってきた






そこで、売り子のビリヤーニ(カレー味のごはん)を食べてみた








うっまいわぁー!!!!もう食えるわー!!!!回復した!!!!何日ぶりの食事!!!!



僕に本当の笑顔が戻りました
















本当の笑顔















そして長い長い移動が終わり、ようやくデリーの街に到着しました!

2012年5月24日木曜日

インド⑤





自転車を借りて、遺跡めぐり





ハンピは本当に素敵な場所です


超巨大な大岩と、修復するつもりのない遺跡が一緒に


あちこちに散在しています


だから、自転車をこいでいる間中、ずっとすばらしい遺跡めぐりをしていることになります


移動に時間のかかるアンコールワットよりも、ハンピの方が楽しいです。ほとんどタダです。




こんなデッカイ岩たちで出来ている町 ハンピ



でもさすがのインド。僕の温度計は45℃を記録してました。
コーラ飲んだり、アイス食べたりしないと死んじゃいます。






翌日、ハンピの街にやってきた かっちゃん
本物を見極める男


夕方 みんなで岩山にのぼり、サンセットを眺めました



インドでイチバン素晴らしい景色と夕陽に出会いました




高橋夫妻 素敵だなぁ




夜は 本物 について語らう
次第に日本食への恋しさが募る展開に
かっちゃんおすすめ ネパールの日本食屋に思いを馳せる夜




 

そして2日後、のんびり過ごしたハンピとはお別れ!


かっちゃんとはヨーロッパでの再会を誓い


寝台列車の中継地点、ハイダラバードという街へ移動です!






















そして、また出発日に問題発生!!


前夜のカレーのジャガイモが腐っていたのと


朝食の卵がおそらく悪かったのが重なり


ひどい悪寒、のちひどい下痢になってしまいました。。








高橋夫妻と過ごす、最後の移動を楽しめず、この旅最悪のコンディションと顔色でした。







翌朝、ハイダラバード到着後、休憩部屋を探して確保してもらい


30分間隔で部屋とトイレを行き来する状態が続きました。夕方の移動があるので、体調回復を祈るばかりです。













そして高橋夫妻とは、ここでお別れ。


彼らはバラナシを中継して、ネパールのポカラを目指します。



素晴らしい夫婦






 

彼らとは、僕のこの旅一ヶ国目であるフィリピンの英語学校で出会いました。


彼らはその時すでにアジアを長く旅していたので、プロフェッショナルの香りがしていました。


英語学校での彼らも素敵でしたが、ここインドで再会した彼らは、もっとイキイキしている様に感じました。


僕が出会った、素敵な旅夫婦です。


そして、彼らの旅の一区切りは、ネパールのポカラ。


最後まで安全に、良い旅を!

















ここから僕が目指すのは、アウランガバードという街!!
もう水しか出ないほどの下痢ですが!漏らす覚悟で電車に乗るしかないわ!!!!

2012年5月20日日曜日

インド④

ありがとうゴア!


ゴアを旅立つ日、寝台バスを待つ間に皆でご飯を食べました


高橋夫妻、ケネディーカップル、バダル、彼女の亜里さん


なかなかのレストランでの、出発前の素敵なひととき



















僕の頼んだラッシー(飲むヨーグルトみたいなもの)、ものすごく不味かったです


でもこの別れを惜しむ時間に


「めっちゃマズイっすわ~」


って言って雰囲気を壊したくはなかったので、平静を装って飲んでいました





でも、普段「出されたものは残さず食べる主義」の僕が飲みきれないほどのクソ不味さだったのが


顔に出てしまったのだと思います。



異変に気付いた皆と回し飲みしてみました。


バダルは「絶対おなか壊すから飲まない」って言ってました。なんてインド人らしからぬ発言


結果、満場一致で腐っているクソ不味いラッシーということになりました。


















そして、寝台バス。


仰向けですが、すごい揺れです


その揺れ 兄貴のライブの感じ






腹痛に耐えながら、夜更けを待つ苦しい闘いになりました。



しかし朝方、限界寸前のタイミングでトイレ休憩が来たので、なんとか負けずに済みました。





・大移動の前は、変な食べ物にチャレンジしない



すごく大事な教訓を学びました。




















あっ、ありがとうケネディー!レア!バダル!亜里さん!



と思えるようになった頃、ハンピに到着!






ラッシー恐怖症の僕に
下痢に効くからとラッシーを勧めてくる高橋夫妻





抵抗はありましたが、マンゴーラッシーで回復しました。


さらなる腹痛を期待していたのか真意はわかりませんが、高橋夫妻に助けられました。








体調がよくなった翌日は、自転車を借りてハンピを回ります




ハンピ 街は小さくてピースフル
街の周辺にはたくさんの遺跡
素晴らしい場所に来たと感じた



2012年5月19日土曜日

インド③

ゴアでの楽しいビーチ生活に事件発生!





ゴアの街中が4日間、禁酒期間に入りました





酒が弱い僕には、スプライトが代役を十分に果たすのですが、高橋夫妻にとってはまさに死活問題


飲むためにゴアに来た! というマサシさん





この高橋夫妻のすごいところは、こんな中でも酒を売っているところを探してしまうところ



ビーチからバイクで1時間かけて、パナジという街へ来ました。酒を買いに来ました。







ビール20本、ラム酒、ワインを買い込み


レストランでビールを飲み、その帰り道に事件発生!













なんとインド警察の検問がーっ!



高橋夫妻はうまく逃げ出したものの、僕は止められてしまいました!










「免許証、パスポート」「ノーヘルメット」「お前からは酒のにおいがする」「その証拠に買い込んだ酒がこんなにある」











何とか切り抜けようと考えました。



まず、ほとんどのインド人がノーヘルメットだし、酒を飲んでると言い張っているが計測器を出す気配はないし、きっと払った罰金が、この警官のポケットに入って終わるんじゃないか…







パスポートは決して出さず、話を進めると、どうやら3,000ルピー(5,000円ぐらい)で解放してやると言ってます。





ここから僕は、ゴネにゴネました。賄賂なら絶対に下がると信じて、10分くらいしゃべり倒しました。

この状況の僕の英語は、とても流暢でした。






若い警官2人は、しゃべり続ける日本人にドン引きの様子でした。もう近寄ってもきません。

だけど中年の、いかにも悪巧みが得意そうな警官は、なかなか引きません。





彼との利害が一致したのは、1,300ルピーでした。



ここで僕は、まだ下がると踏みました。










ATMで金を降ろしてくると言って、現場を離れた後


金は降ろさず



俺「ATMでカードが使えなかった。手持ちはこの500ルピーだけなんだ。本当はちゃんとあなたに払いたいんだけど、帰りにガソリン入れるから400ルピーで勘弁してくれないか?」



警「じゃあそのワインを置いていk…」



俺「NO」



警「…じゃあ400ルピー払って行け」





最終的には400ルピー(600円ぐらい)払って解決しました。







ふざけた警官でしたが、ふざけた警官で助かったとも思います。金だけで解決したから。

逆にまじめな警官なら、大変なことになっていたと思うから。



乗るなら呑むなですね!





反省しつつ、その夜はスプライトでした。インドでヤバッと思った一日!!














翌日、韓国の友達ケネディと合流しました!



彼もまた英語学校のご学友であり、高橋夫妻とも親しい間柄。現在、インドの英語学校に通っており、その休暇を利用して会いにきてくれました。
なんとビックリしたのが、ケネディが彼女を連れてきました!彼女は韓国人のレイアでとても優しい才女で、とってもお似合いのカップルです!



幸せを振りまく彼ら




後追いのタモリ?井上陽水にも似た俺氏




買い込んだ酒と、さらに買い足した酒で
一気飲み そしてリバース







つぶれるケネディー



元気な酒豪夫婦













翌日も同じように飲みました。








そしてゴアを離れる日を迎えました。お酒、そして汚いけど楽しいビーチでした!

これからだんだんインドらしいところに向かいます!




ケネディとレイアは英語学校に戻り、

高橋夫妻と僕は、夜行バスに乗りハンピという街へ移動します!

2012年5月15日火曜日

インド②

ゴアで合流した高橋夫妻とは、フィリピンの英語学校で一緒に勉強し、遊んだ仲です。


ご学友
心強い旅人でもある
酒豪でもあり 喫煙者でもある



彼らはアジアを中心に7ヵ月間の旅をしてきており、安く抑えつつ楽しむプロバックパッカー夫婦です。




ローカルバスで移動して



くつろいで




すごい飲みます





タカハシ夫妻と一週間ほど、インドのゴアで過ごします。


インドをぐるっと旅してきた彼らに言わせれば、ゴアはもっともインドっぽくない街だそうです。




インドのゴアは、一昔前までは、おクスリの街として有名でした。


「ゴアトランス」なるすさまじいテンションの音楽もあります。おクスリの友といえます。


おクスリといえばこの人




そんなゴアも今では健全なビーチが並び、ビーチ沿いにゲストハウスが並び、おクスリ目当ての人はほとんどいません。





「そんなことないよ!(おクスリ)ジャンキーばっかじゃん!」すばり言うわよ発言する彼


彼はインド人のバダル。日本語堪能で、日本人のような心を持つタカハシ夫妻の友達。
バラナシという街でツアーガイドとして働いており、親切丁寧がモットー。





彼に言わせると、ビーチによってはジャンキーはまだまだいます。確かに、毎日新しいキズを負い徘徊するヨーロピアンがいます、アンジュナというビーチには。。


なんだか彼らの話し方、すごくゆっくりなんです。
そんな話をタカハシ夫妻としながら、僕らもアンジュナビーチに滞在します。






そんなツーリスト向けにおクスリ文化栄えたゴアですが、インド人にとってはリゾート地として人気です。


ビーチによっては、インド人だらけのビーチもあります。


波打ち際を埋め尽くすインド人




女の人は、絶対に服を着ている



このビーチが楽しすぎて、アンジュナからバイクに乗って通いつめました。




「一緒に撮ってくれ!」と写真攻めに会い、なんだかスター気分




コレ遊んで大丈夫?っていうぐらいのデカい波もあるグッドビーチです



海水浴場らしからぬ波


海汚いけど 楽しい!!!




バイクも楽しい!









タカハシ夫妻と一緒に、毎日バイクでビーチに行ってメシを食う



それだけの生活が



こんなにも楽しい!!