2012年9月20日木曜日

ベルギー①

問題
この自転車は何円?





8月に自転車旅をしていたとき





みんなでフレンチアルプスのガリビエ峠を上っていたとき






山頂で、日本人の女性と出会い、お話する機会がありました







ベルギー在住のタツヒラさんという方で、地元ベルギーの自転車チームの方と一緒に



彼女もまた、ガリビエ峠を制覇していたのでありました。










ということで、ベルギーではタツヒラさんのお家にお邪魔させて頂こうと、やってきた次第です。







飛行機で飛んで







電車に乗って
デインセという町に到着






デインセは、すばらしく長閑な、ベルギーの田舎町






タツヒラさんと 娘のルイちゃん






ルイちゃんは、フランス語、オランダ語、日本語を話します。英語も相当なものです。驚愕の13歳です。


自転車選手にかなり詳しく、ツールドフランスも録画を繰り返し見るそうです。しかも「トォム・ボゥネン」とか以上に発音がいいです。


自転車に乗るのは、疲れるから嫌いだそうです。そこは普通の女の子ですね







ちなみに、ここベルギーの自転車人気は、どのスポーツよりも上です




新聞の広告に、付録として自転車レースの特集冊子がついてきたり


幹線道路には、必ず自転車専用道路があったり


自転車に乗っている人が多いというか、通勤の人でさえ、止まったり曲がったりするサインをしっかりと使っていて、レベルが高い






13歳にして自転車マニアになるのも、うなずけますね










翌日、タツヒラさんから自転車を借りて、隣町のゲントまで出かけてみることにしました






素晴らしいサイクリングルート




なんて長閑




帰りは違うルートで
寄り道して訪れたのは




自転車屋さん





店の名前の「ホデフロート」というのは、オーナーさんの名前でもあり



この方は、その昔、ツールドフランスやら世界選手権やらオリンピックやらで、数々の勝利をもぎ取った伝説の自転車乗りです。



そしてタツヒラさんの所属している自転車チームが、この「ホデフロート」です。



チームホデフロートは おじい様方を中心に
昨年ベルギーからロシアまで自転車で走破しました
おそろしい老後の過ごし方



チームホデフロート会長 ウィリーさん





僕がヨーロッパを自転車横断したこと、かなりの自転車通に仕上がっていたことで、ウィリーさんと意気投合





「おまえ、知ってるか?カベンディッシュはスカイを辞めて、クイックステップか、カチューシャに移籍するぞ」とか




「今年の世界選手権は誰が勝つと思う?ジルベールの調子がいいけど、コース的にはトムボーネン向きだからな」とか






非常に興味深い発言をします。情熱的なじいさん





ウィリーさんのガレージ
男なら誰もが憧れるガレージである





「明日ヒマかおまえ ちょっとコースの説明したる」
世界選手権で使用するコースの説明を受け
明日 このコースを走ることになりました






いくつか峠を越えるようですが
石畳で勾配20%とか じいさんの上れる角度じゃねぇ
しかしウィリーさんは上る
誰もが憧れるじいさんである




※勾配20%とは、ブレーキを掛けると後ろにゴロンゴロン転がっていきそうになるほどの勢い






ウィリーさんのロードレーサーを借りてセッティング





ルックのビンディングに、コンポーネントがカンパニューロのレコードで(要はシャレオツな自転車に乗れるということ)

僕はご機嫌




「まぁ俺はスーパーレコードやけどな」
ウィリーさんは更にご機嫌



※スーパーレコードとは、ブレーキやらギアやらの最高級セットで、レコードよりも上のランクです。何十万もする金持ちの道楽です。金の無いマニアが気が狂って買うこともあります。







うますぎる タツヒラ家の晩御飯








翌朝 車で移動して
世界選手権のコースを走ります





ウィリーさん、仲間のマルクさん、タツヒラさんと私4名





お揃いのチームウエアを頂きました
「俺は会長だから、タダでやる」だそうです




世界選手権のコースになったもんだから
自分の家の壁を犠牲にして選手を応援するファン





1つの峠を上りきった後に写真をパシャリ
石畳 凄まじい振動で 走行中には写真は撮れない!






ウィリーさん、前日から僕に勝てるかどうか緊張していたそうですが(ライバル視とか情熱的)


ウィリーさん速くてビックリで、僕は全力で付いていきます。乗り方もウマい。


写真右の「溝」わかりますか?ここが一番振動がないから、そこをダンシング(立ち漕ぎ)していくのが良いのです。



かなり難しいダンシングを、このじいさんはリズミカルに、キレイに自転車を振って、やっちゃいます








ウィリーさんは、2日に1回は100㎞以上走っているそうです。さすがベルギーの自転車チームの会長!もう達人ですね!







ボーネンベルクと呼ばれる峠
トムボーネンという選手が得意とする場所だから、そう呼ばれている






最後の峠を迎え、全力を出し切ってやろうと思った僕は、アタックを仕掛けてぶっちぎりました




「OH!! ケイコ―!アイツ元気だぞ!!!」

ウィリーさん、なんだか嬉しそうでした






ぶっちぎったは良いものの、最後の峠は長く

再びウィリーさんに追い抜かれれば、これ以上恥ずかしいことはありません






文字通りの全力アタックで、上り切りました









ゴールの街で 記念撮影




この町にあった 自転車博物館に寄った




自転車にギアが無かった時代から
ベルギーの名選手に関する展示がたくさん




いろんな時代の自転車が展示













そして、冒頭に問題を出しましたが



この自転車は、いくら?












正解は



























100万ユーロ

















1億円です





















100,000,000円です
















とりあえずペロッと舐めておきました












ツールドフランスで走る「カデル・エバンス」という選手のために、特注で作られた自転車です。



1回乗ったら、もう終わりです



恐ろしくカッコいい、お金のかけ方ですね














自転車を楽しんだ後 タツヒラさんが日本食を作ってくれました
うまい!




5日間 デインセで たくさんの方にお世話になった
またいつか訪れたい










翌朝、ブリュッセル発の電車移動があるため、



タツヒラさんとお別れして、夜のうちにブリュッセルに移動です









ブリュッセル到着
フィリピンで会った ボリスと再会






フィリピンの英語学校で出会いました。彼は英語べらべらなので生徒ではありません。旅の途中に彼女のマリちゃんに会いにきたのです。





すごい飲んでいる






彼は今冬、もういちどフィリピンを訪れ、バギーみたいな奴でフィリピン中を走りまわりたいそうです。サイドカーに親父を乗せながら





サイドカーに乗せられる親父







飲んで食った後は 飲み仲間の方が寝床まで用意してくれた












観光名所の小便小僧も観てないけど、たくさんの方の御厚意に甘え、大満喫したベルギー







翌朝 電車で移動
フランス・パリへ


2012年9月17日月曜日

ポーランド①

ポーランドのクラクフという街で、友達と再会



ポーランド美人 ドミニカ




マレーシアを旅していた時にゲストハウスで出会いました。


その時は4月で、かなりのヨーロピアンが2週間ぐらいの休暇を使って東南アジアにいた覚えがありますが、彼女もそのうちの一人でした。


「日本には無い、うらやましい制度を、当たり前に使ってるね。
 もし、日本人が2週間休みを取ろうとすると、会社を辞めるしか無くて、
 だからどうせなら、もっと長い時間を使って世界一周するんだよ。」



「私も世界一周したい!あーポーランドに帰りたくないわ!
 とにかく羨ましいわ!」


みたいな話をして、彼女は翌朝バンコクへ、そしてポーランドに帰っていきました。







今回、彼女に「ポーランド行くよー」とメッセージを送ったところ


「遊びにいらっしゃい!」と、久しぶりに再会することになりました。







彼女はワルシャワ生まれワルシャワ育ちワルシャワの奴はだいたいトモダチ


平日はバリバリ仕事をして、土日は必ず旅行をする、という旅行好きガールです。




僕より背が高くて、足が長くて、困ります。





彼女お勧めのポーランド料理 スープ4種類
うまい



これはポーランド料理の盛り合わせ
うまい



これはユダヤ教の伝統料理
うまい




ポーランドの飯は相当ウマかったですが、タダでは終わりませんでした。


ビールも飲んで酔っぱらっていたのですが、「食後はポリッシュ・ウォッカよ!」といってバーに連れていかれ、ウォッカで相当に酔っぱらいました。


宿に帰ると、ウクライナ人がウクライナのウォッカをすごいテンポで飲んでいました。


吐くか寝るかってテンションで横になる僕に、ドミニカはビンタしながら「起きなさーい、いいからちょっと飲みなさーい!」と上機嫌で、ウクライナ人と意気投合しています。恐るべし!東ヨーロッパのウォッカ文化!


アメリカ人とオーストラリア人がビールを飲みながら「ビールは水だ」的なことを言っています。レッツノミュニケーションです。


まだこっちのビール文化の方が安全だったので、こっちに逃げて、こっそり寝ました。



いつまでたっても酒が強くなりません。困ったものです!



集う酒飲みたち












翌日 強制収容所を見学





「アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所」という所を見学に行きました。



何が行われていたかを、ざっくり説明します。

ヒトラー率いるナチスドイツ政府によって設立された、史上最も多くの人が死んだ施設です。負の世界遺産と呼ばれています。




上記写真は入口の様子で「働けば自由になる」と書いてあります。




ヨーロッパ各地から 主にユダヤ人や政治犯などが





列車にぎゅうぎゅう詰めで 数日間かけて
アウシュビッツへやって来ました










前述したとおり、ここは史上最も多くの人が死んだ施設です。

「働いたら自由になる」なんていうのはウソでした。





死者はカウントするだけで100万人以上死んだそうです。
正確な数字は分からないけど、約600万人とも言われています。


この強制収容所は5年間稼働していました。


5年で600万人

1年で120万人

1日に3,000人の人々が殺されたことになります。






こう考えたら、本当に恐ろしくなりました。たった70年前に、1日3,000人を殺す施設があったのです。










列車から降りた人々は、施設に入る前に、2列に並ばされます。


片方の列は、施設に入ります


もう片方は、先ずシャワーを浴びにいきます



シャワーを浴びに行った人たちは、密室でガスまみれにされ、そのまま殺されました。







この、シャワーを浴びると言われて到着後すぐ殺された人たちは、全体の70%ほど。
400万人以上に相当します。








施設に入らされた、残り3割の人たちも、多くは途中で死んでしまいました。




働けると判断された人たち




満足な食事はありませんでした。


ガス室送りで殺された人たちの処理、密室にガスを送る役目、死んだ人たちの髪の毛を集めて布を作る、メガネなど金属を売るために集める、死んだ人たちが持ってきた全財産を没収するなど


収容所に携わるほとんどの事を囚人たちが行いました。


作られた布や金属はナチスドイツの利益となりました。そして伏せられた利益の一部は、スイスの銀行に流れていました。


殺人ガスを製造した会社は、現在も存在しているそうです。







体重75㎏の人は 25㎏に
半年も生きられる人は極僅かだった






第二次世界大戦中とはいえ、こんな出来事を世界中が5年間も黙認していたなんて、僕には驚きでした。



複雑な思いに囚われましたが、ここを訪れて、知ることができて良かったです。










最後はクラクフのユダヤ人街へ
アートたっぷりの素敵なところでした





月曜日、1日ズル休みして、一緒に遊んでくれたドミニカに感謝です。

3日間、彼女のジャマイカ推しにあい、僕もジャマイカに行きたくなりました!








それでは、次はベルギーへ!












2012年9月15日土曜日

オーストリア①

スウェーデンのストックホルムから、飛行機で





オーストリアのウィーンにやって来ました!









シェンゲン協定による、ヨーロッパ3カ月ルールの関係上



自転車旅で2ヶ月以上を費やしたため、迅速に移動しなくてはいけません。








友達が待っているポーランドに急ぐ予定でしたが、どうしてもオーストリアは行っておきたかったので、弾丸2日間で予定を組み込みました。










その理由は、「僕は生涯スキーを楽しむことを誓います」ってくらいスキーを愛しているのですが


リスペクトするスキー選手は、オーストリアの選手が多いからです。



アルペンスキーヤー ベンジャミン・ライヒ
(オーストリア)




アルペンスキーヤー マリオ・マット
(オーストリア)




ヘルマンマイヤーズ会長 ヘルマンマイヤー
(オーストリア)




選手名を挙げると、キリがありません。メンツによっては話が尽きません。実に奥深いスポーツ


アルペンスキーはオーストリアの国技なので、速くて上手い選手が多いです。


そこから選手だけでなく、なんとなく国までリスペクトしてしまったわけです















オーストリアといえば、国立歌劇場とか、少年少女合唱団とか、ザッハトルテ・スイーツめぐりが本やらネットで紹介されていますが


僕はブレずに、国技であるアルペンスキーに焦点を合わせて観光したいと思います。




ちなみにウィーンの中心地は 観光客だらけです










普通に観光していれば、はっきり言って、他のヨーロッパ諸国の観光都市となんら変わらないです。


街の中には、H&Mとか、ZARAとか、MANGOとかそういう店が何十件もあって、買い物袋を下げた観光客が石畳を練り歩いています。そう、なんら変わらないです。









しかし、注意してよく観光していると、プロ(マニア)しか反応できないようなスキーの香りが漂う、
奥深いところでした。








たとえば彼 ピスト乗り




色合いとか、妙なホイールを持ってるとことか、センスの良さを醸し出していますが


何よりも注目するところは、アルペンスキーの競技用ヘルメットをかぶっているところです。


このカタチ、おそらくカレラとかの古いヘルメットで、「今シーズンはポックの新しいの買ったから、これは自転車にでも使ってやろう」といった経緯ですね、わかります。










たとえばこの靴




あんまりカッコよくないくせに、高いです。普通なら買わないでしょう。


メーカーは「ヘッド」というところです。日本で買うなら極まれにスポーツ用品店にあるか、ファッションセンターしまむらです。


しかしこのヘッド、アルペンスキー界ではトップスキーヤーがこぞってヘッドを愛用するスキーのトップブランドで、業界のシェアをぐんぐん伸ばしております。数年前なら断然アトミックだったのですが、今はヘッドの方が多いと思います。

ヘッドのスキー板(選手用)は堅くて簡単には曲がらないので、気を付けてください。











たとえばこの靴



ダサいのにものすごく高いです。普通なら絶対に買わないでしょう。


メーカーは「MBT」というところです。


「マサイ・ベアフット・テクノロジー」の略で、マサイ族の歩行姿勢に注目して開発されたなんちゃらかんちゃら、いわゆる健康シューズの類です。


一見あやしいです。しかし僕は知っています。


昔スキーグラフィックなどの専門誌で「オーストリアのアルペンスキー選手がオフトレの一環として、このMBTを履いている」という記事をみた覚えがありました。

確かインタビューされていたのは、ベンジャミン・ライヒでした。グリュニゲンもコメントしていましたが、それはMBTがスイスのメーカーだからです。


このMBTはあやしくない、デキるシューズです。



私、愛用していたチャコのサンダルが寿命を迎えたため、次なるサンダルを探していました。



私、この店でMBTのサンダルを、170ユーロ(17,000円ぐらい)するサンダルを衝動買いしてしまいました。


節約旅行者には、サンダルに170ユーロなんて狂気の沙汰ですが、観光+オフトレ(体感強化)が一緒に出来、一石二鳥であるというのが私の見解です。後悔はしていません。



楽してエクササイズといったところ






スキー絡みの話は終わります。

















他にも、ウィーンで観てみたいものがありました。


昔、くるりがパシフィコ横浜で、とある交響楽団と一緒にコンサートを行いました。




シゲルキシダが彼らを「ウィーン・アンバサーデ・オーケストラ」と紹介しているのを覚えていました。

老若男女入り乱れた、素敵な演奏集団で、可能なら彼らの演奏会に行きたいと

ホテル、ツーリストインフォなどで情報収集を行ったのですが、定期演奏みたいなものは催されていませんでした。残念極まりなかったです。










ミュールバウアーという帽子屋さん




くるりが「ワルツを踊れ」というアルバムをウィーンで制作した際、上記の横浜でのコンサートの際

くるりの2人はミュールバウアーの帽子をかぶっていました。

ハンドメイド一点もので、シャレオツです。

スキあらば買おうと思いましたが、スキはありませんでした。









ウィーン郊外の ハイリゲンシュタットへ



くるりの「ワルツを踊れ」というアルバムの一曲目のタイトルが「ハイリゲンシュタット」


ふと電車路線図を眺めていると、終点がハイリゲンシュタットだったので、びっくりした僕は一人で盛り上がって行ってみることにしました。


街の名前やったんすねーくるりさん、なんて思っていると、到着しました。







ハイリゲンシュタットは住宅街でした






地下にあったカフェで半日おっちゃんと話していました
ハイリゲンシュタット かなりのんびりしていました





ヒマなので、ゲストハウスまで2時間歩いて帰りました








適当に、なんとなくでしたが、ウィーンを訪れて良かったです









そして今夜 22時24分発の寝台列車で ポーランドへ